Decentralized Kingdom 第1章 15 /著:小鈴危一 /仮想通貨SF小説

 議長室は、予想していたよりもずっと広かった。だけどそれ以外は普通で、応接用のソファに大きな事務机と、ありきたりな内装があるのみ。

 いや、ところどころに趣味なのか、書斎にあったような格言だか詩だかの置物や額が飾られている。
「ドックは——」
「あ、あったよ!」

 クレが事務机に小走りで駆けていく。机の上には、たしかにパネルシートと円筒が組み合わさったディスプレイ拡張ドックが乗っていた。

 早速自分のスマホとリンクさせるクレに、僕は訊ねる。
「どうだ?」
「んー……大丈夫そう。ちょっと待っててね」

 クレは拡大したフォームに手を突っ込み、なんらかの操作を重ねていく。僕は大きく息を吐いた。なんとか目標は達成できそうだ。

 ここから僕にできることはない。暇を持て余し、なんとなくクレの様子を眺めながら思考に沈む。
 実際のところ——あの秘密鍵に守られた契約コントラクトとはなんなのだろう。

 ブロックチェーン時代の麒麟児、ヴィタリック・ブテリンによってイーサリアムの構想が示され、スマート・コントラクトの概念がもたらされたのは二〇一三年だ。管理者を必要とせず改竄を許さない、契約者の同意のみによって自動実行される賢い契約。現在では無数のコントラクトが様々なブロックチェーン上に記述され、日夜稼働しているが——二十年前は、その実用例は数えるほどしかなかった。

 少し調べたところでは、ストレージや物品の貸し借りサービスに航空機の保険、婚姻証明に簡単なゲーム——それくらいだ。動いていた金もたかが知れている。

 だが、これはあくまで一般に知られている範囲の話だ。
 帝王DPRドレッド・パイレート・ロバーツの築き上げた米国の巨大なダークマーケット『シルクロード』に、平成の末に起こった史上最大級の盗難事件である『コインチェック事件』など、仮想通貨は誕生して間もない頃から犯罪と関わりが深かった。だから、ブロックの海に巧妙に隠された、公にできないなんらかのコントラクトが存在していても不思議はない。

 疑問はもう一つある。呉槭樹は、バックアップをどこに保管しているのか。
 二日一緒に居てわかったが、クレは優秀な人間だ。彼女が探して見つからないのなら、家の中にも、自宅のメディアにもないのだろう。他に考えられるのはどこかのサーバーか銀行の貸金庫だ。だが秘密鍵をオンライン環境に置くのはリスクが大きいし、後者も考えにくい。かつてのブロックチェーンコミュニティには、始祖たるサトシ・ナカモトから継承された自由主義の気風があった。黎明期から関わっていた呉槭樹が、果たして権威の手先たる銀行を信用しただろうか。

 他にはどんな可能性がある?
 初期乱数、十二個の単語、秘密鍵——。
 何の気なしに部屋を眺めていた僕は、ふと、事務机に置いてあるガラスのフォトフレームに目がとまった。

 両親が持っていた結婚式の記念品みたいな品だ。たしか、クレに見せられた書斎の3Dモデルにもあった。同じ物だろうか。どこかの観光地らしき美しい海岸の写真が映され、フレームには詩のような文章が彫り込まれている。

『銀色の日曜日。ぼくの料理が立てる音色に、寝不足のきみが————』

 その文面を数回反芻して——なにかが頭の中で閃いた。

 スマホでBIP39のワードインデックス一覧を開き、単語を抽出していく——やっぱり間違いない。でも、こんなこと可能なのか? いや違う。必ずしもこれ・・である必要はないんだ——。

「終わったよ、藤井さん!」
 声に驚いて隣を見ると、クレは作業を終えたところだった。

「戻ろ! ハードウェアウォレットはどうする? ここに置いていくの?」
「あのな、ちょっと——」

 言いかけて思い直す。今でなくていい。
「いや……置いていかない。もっと怪しまれないような経路で返さないとダメだ。とりあえず帰——」

《調査へご協力願います》
 突然、室内に滑らかな合成音声が響き渡った。

 

>>>第1章-16

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