Decentralized Kingdom 第1章 17 /著:小鈴危一 /仮想通貨SF小説

  僕は、この馬鹿げた推理を告げる。
「リセットしたんだ、ウォレットの初期乱数を。文章が作れるまで、何度も何度も」

 クレは言っていた。ハードウェアウォレットを初期化してしまったと。バックアップとなるリカバリーフレーズを入力すれば元の秘密鍵を復元できる。だが復元せず、新規にウォレットを作成したとしたら?

 初期乱数も、当然新しくなる。もちろんリカバリーフレーズも。
「いやいやいや! 本気で言ってるの?」

 クレがなおも食い下がる。
「確率わかってる? 単語は二〇四八個、あの文章ができるのは二〇四八の十二乗分の一なんだよ? 一秒に一回リセットしたって十の三十乗年くらいかかるじゃん!」

「計算速いな。でも実際にはそんなにかからないんだ。まずチェックサムがあるって言ってただろ? だから大部分は無効な組み合わせでそもそも生成されない」

「あ……」
「それともう一つ。これじゃなくてもよかった・・・・・・・・・・・・んだ。なんらかの、記憶に残りやすい有意な文章になれば——そうですよね? 呉槭樹さん」
 僕は、女傑の姿を正面に捉えて告げる。

「あなたは大事なウォレットのバックアップを記憶の中に保管するつもりだった。だからリセットを繰り返して作り上げたんです。文字通りの意味での記憶に残りやすいニーモニックコードを。だけどもしもの時のために、一見そうとはわからない形で物理媒体にも残した。違いますか?」

「想像で話されても困るな」
 呉槭樹は腕を組み、口の端を皮肉げに吊り上げる。

「理解しているか? 君は仮定に仮定を重ねているだけだ。その荒唐無稽な話に根拠はなにもない」
「ええ。でも、ずいぶん余裕がなさそうですね」

 僕は女傑の目をまっすぐに見つめながら言う。
「さっき一瞬だけ上唇が上がり、鼻にしわが寄りました。『嫌悪』の微表情です。なにか触れられたくないことでも? さらに腕を組む仕草は不安や拒絶を表し、不自然に長いアイコンタクトは逆説的な後ろめたさの証明です。あと、ちょっと喋りすぎですね」

 沈黙する呉槭樹に向かい、僕は続ける。
「それ以前に、実際に入力してしまえば誤魔化しは通じませんよ」
「ふむ……なら入力してみるといい」

 呉槭樹は、ふと表情を変えてそう言った。
「え?」
「ハードウェアウォレットは持っているだろう? 無線のUSBポートはそこにあるものを使え。ほら、どうした」

 僕は困惑する。表情や仕草に虚勢のサインはない。むしろ開いた肩は『自信』の顕れだ。
 ここに来てどういうことだ? だが、今さら退けない。
「……おい」
「う、うん」

 クレはハードウェアウォレットを取り出し、卓上の無線USBポートへと繋ぐ。自らのスマホとリンクさせると、管理画面にフレーズを入力していく。ぎんいろ、にちようび、りょうり……。
 クレの手が止まる。

「……だめ」
「な……」
「無効なコードじゃないけど……このアドレスは空っぽ。これじゃないよ」
 僕は愕然とする。

 まずい、交渉の手札がなくなった。なぜだ? たしかに推論に過ぎなかったが、呉槭樹の反応ははっきりしていたのに。
 どうする? ここからどうすればいい……?

「満足か?」
 呉槭樹はふっと息を吐いて言った。その表情からはなにも読み取れない。
「戯れ言は終わりだ。さあ、そのハードウェアウォレットを返し——」

「ねえお母さん」
 クレが、泡状ディスプレイを眺めたまま呟いた。
「これ、なんで無効にならないの?」

 娘の言葉に女傑の表情が固まる。
「……なに?」
「おかしいよね。でたらめなフレーズなら、普通はチェックサムが働いて無効になる。偶然見つかった十二個の単語が偶然有効なコードになるなんて、そんなことあるかな」

「……なにが言いたい」
「ワードインデックスはあってるんだ」
 クレがディスプレイを操作する。
「違うのは——言語。ほら、見つけた」

「え?」
「見つけたよ藤井さん。あたしが探してた秘密鍵」

 透過光に照らされたクレの瞳が、ホログラムの画面を見つめる。
「ほんとうのリカバリーフレーズは、degno、regresso、vicenda、novella、rinsavito……」

 女傑の表情が、明らかに苦々しいものへと代わっていく。
「riso、gilda、blatta、benda、batosta、cantina、abete——イタリア語だったんだ。お母さんこのフォトフレームの写真、シチリア島でしょ。お父さんと最初に出会った」

 呉槭樹は沈黙。どうやら本当に正解だったらしいが、僕には状況がわからない。
「なに? どういうことなんだ? イタリア語?」

 

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