Decentralized Kingdom 第1章 7 /著:小鈴危一 /仮想通貨SF小説

 カフェは木の匂いがした。
 住宅地の外れにある古民家を改装したような喫茶店。ソーシャルカメラを避けて、クレが選んだのはその店だった。

 厚いウッドテーブルの上には、不透過パターンを解除されたスマホが置かれ、とある人物の顔写真と自己情報プロフィールを表示している。
 呉槭樹くれかえで。女性。三十七歳。

 イケダハヤト経済共同圏市民。だが、ただの市民ではない。四十三パーセントのイケハヤ率を誇るイケハヤ経済圏の重鎮だ。ここみらい平を管轄する、イケハヤ経済圏みらい平地域会議の議長でもある。エンジニアとしても十代の頃から名が通っており、その容姿から崇拝者も多い一代の女傑だった。

 そして——、
「あたしのお母さん」
 ということらしい。

 僕はコーヒーに口を付けながら呟く。
「呉槭樹に中学生の子供がいるとは知らなかった」
「中学生じゃねーし! あたし十七だからね!?」
 クレが怒り出す。やっぱり高校生だったようだ。

「大して変わらないだろ。それより……」
「いや変わる変わる! それに藤井さんだって、あたしと四つしか違わないでしょ」
「……ずいぶん僕のこと調べてるんだな」
「なに言ってんの? 藤井さん有名人じゃん」

 思わぬ言葉に、僕は一瞬面食らう。
「有名って……別にそんなことないだろ。昔ちょっといろいろやってただけで……それより」
 僕はコーヒーカップを置き、代わりにスマホの隣に置かれたデバイスを手に取る。

「呉槭樹のハードウェアウォレットから秘密鍵を盗みたいって、どういうことだよ」
「そのまんまの意味だよ。どうしても、それが必要なの」
 僕は手の中でデバイスを弄ぶ。

 ハードウェアウォレットは、ブロックチェーンの秘密鍵を暗号化して保存するデバイスだ。
 秘密鍵はブロックチェーンにおけるパスワードのようなもので、これが奪われると自分のコインもトークンもコントラクトもすべて操作され放題となる。

 今では個人が秘密鍵を管理するどころか意識することすらほとんどないが、ブロックチェーン黎明期には信用できる管理サービスなどは一切なかった。取引所にすらハッキングや倒産のリスクがあり、投資家たちはいつも資産の消失に怯えていたという。

 そこで生まれたのが、オフラインで秘密鍵を安全に保管しつつ、使用の際にもネットワーク上で入力せずに済むハードウェアウォレットというわけだ。いわば、時代の過渡期に生まれたアイテムだろう。

 知っている人の方が少ない。僕も実物を見たのはこれで数度目だ。
「どうして僕がそんな犯罪に協力すると思うんだよ。断ると言ったら?」
「どうにもならないよ」

 クレは言う。
「どうにもならない。だからあたしと一緒に市街警備に捕まることになる」
 僕は苦い顔をしていただろう。

「どうにかするには、秘密鍵を暴いて、お母さんに交渉を持ちかけるしかない。カイドウ・タウンセキュリティと契約してるのはイケハヤ地域会議だから、今回のことくらいは収めてもらえるよ」

 僕は溜息をつく。こいつと逃げたのは完全に失敗だった……いや、強制執行された時点で面倒ごとは確定だったか。

「……僕には無理だよ、そんなの。だいたい、自分でやればいいじゃないか」
 僕はクレに言う。
「君はハッカーだろ」
「え、あ、藤井さん、もしかしてあたしのこと知ってた?」
 急にあたふたとするクレに首をかしげつつ答える。

「……? いや、あのスマホに仕込んでたプログラム、君の自作だろ? アングラサイトで配付してるようなスクリプトじゃないし。あと呉槭樹の娘ならそうだろうと思っただけだけど」
「あー……うん、まあ、そうなんだけどさ……」
 落胆したようなクレに、僕は眉を顰める。なんだ?

「ていうかそうじゃなくて! あたしだってやってみたよ」
 クレは僕の手からハードウェアウォレットを取り上げると、指でつまんで回し始める。

「この機種、初期のロットには脆弱性があって、筐体を開けて物理メモリにアクセスすれば秘密鍵を抽出できる可能性があったの。長く見逃されてた脆弱性だったから、もしかしたらと思ったんだけど……ふつーにファームウェアがアップデートされててダメだった。当たり前だよね。他にもいくつか試してみたけどどれもうまくいかなくて、最後にはちょっとミスって初期化しちゃったし」

「初期化って」
 僕は口を挟む。
「秘密鍵まで消えたのか? そんなのもうどうしようもないんじゃ」
「PINコードは消えたけど、秘密鍵は復元できるの。リカバリーフレーズさえあれば」
「リカバリーフレーズ?」

 

>>>第1章-8

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