Decentralized Kingdom 第2章 3 /著:小鈴危一 /仮想通貨SF小説

「えーと確か、前は量子言語に凝ってるとか言ってなかったっけ?」

「最近は神経言語も勉強し始めたんだ。これがおもしろくてね」

ヒナギは楽しげに言う。

神経端末ナーヴデバイスは未来そのものだよ。あの技術は絶対にこれからの主流になる。だからわたしもなにか貢献したかったんだ。神経言語も量子言語も、古典コンピューターのアセンブリ言語に加えてぜひ初等教育に盛り込むべきだよ。神経ネイティブ、量子ネイティブ世代を育てないと」

「量子ネイティブ? あー、そう言えば……」

言われて僕は思い出す。

神経端末ナーヴデバイスって量子チップが載ってるんだったな」

量子コンピューターは、量子の重ね合わせ状態を利用して膨大な並列処理を行う、今あるスマホなどの古典コンピューターとはまったく別計算機だ。

世界初の量子コンピューターが生まれたのが今から17年前だが、そこから10年以上に渡り、量子コンピューターはかつてのスパコン的な立ち位置であり続けた。年を経る毎に改良され大規模になり、公に使われるようになっていったものの、僕たち消費者コンシューマにはずっと無縁の存在だった。

量子チップの搭載された神経端末ナーヴデバイスは、ほとんど初めての一般向け量子コンピューターと言っていい。古典コンピューターとの併用型で性能もあまり高くないが、神経情報の処理になくてはならない役割を果たしている。

と、一年くらい前にウェブメディアで読んだ。

「あまり意識されることはないけどね。でも、こういう場所に使われてるってことはもっと知られるべきだと思うんだ。量子コンピューターの変なイメージも払拭できるかもしれないし」

「ああ、パスワードを破られる、みたいな?」

「うん。ばかばかしいよ、まったく」

ヒナギが怒ったように言う。

量子コンピューターが実用化された頃大々的にそのようなことが報じられたためか、機械に明るくない人間の中には未だにそんなイメージを持っている者も多かった。

「今はまともなサービスなら格子暗号やランポート署名、量子鍵配送で安全が担保されてる。いったいいつの時代の暗号を使ってるつもりなんだろう。そういう人たちは量子コンピューターがもっと広まったら仮想通貨コインは全部500円玉にするのかな」

「不便さには代えられないから順応するだろ。あー、でも……」

「?」

「仮想通貨市場には多少影響あるかもな。マイニングの成功率は上がるだろうし」

計算力の競争によってブロックを承認し、報酬として新たなコインを得るマイニングは、コンピューターの性能によって成功率が大きく変わる。現在は多数のマイナーが協力して採掘を行うマイニングプール数社の寡占状態となっているが、新たなコンピューターの登場で、その勢力図が大きく変わっても不思議はない気がした。

僕の適当な呟きに、ヒナギは割と真剣に考えて答える。

「いや、ないと思う」

「なんで?」

「みんなが量子マイナーを使うようになるなら、全体の計算力ハッシュレートが上がって安定するだけだよ」

「どこかのマイニングプールがいきなり導入したら、計算力ハッシュパワーが偏ってセキュリティリスクが上がらないか?」

「51パーセント問題ってやつ? うーん、いきなり導入、っていうことがまずないと思うけど。ただ……」

「ただ?」

「量子コンピュータのナンス探索用アルゴリズムって、まだ開発されていないんだ。だからもしどこかのマイニングプールが見つければ、抜け駆けされるかもしれないね」

「へえ」

マイニングの計算はナンス値という一定の条件を満たす数を総当たりで探すものだが、そのためのアルゴリズム――計算するための具体的な動かし方が、まだ考案されていないということらしい。

少し意外だったが、量子コンピューターはそもそも普通のコンピューターとは仕組みがまるで違う。量子言語を扱える技術者はまだまだ少ないと聞くし、無理もないのかもしれない。

「でもセキュリティリスクが上がったら価格は下がるだろう? マイナー側にはやるメリットがないよ」

「確かにな」

「性能の割に量子チップはまだまだ高いし、しばらくマイニングに使われることはないんじゃないかな」

「というか、よく考えたらほとんどのコインはPoIとかPoSみたいな計算力を使わない承認システムだし関係ないな」

「例外であるビットコインが時価総額の三割近くを占めてる以上、関係ないとは言い切れないけどね……そうそうビットコインと言えば、最近変な噂があるの知ってる?」

「変な噂?」

「謎の採掘者マイナーが現れたって」

僕は首を傾げる。

「知らない。なにそれ?」

「大手マイニングプールのシェアを、最近どこかの誰かが奪い始めたんだ。まだ数パーセントだけど、少しずつ割合が増えているらしい」

「へえ」

軽く相づちを打ったが、本当ならおかしなことだ。

ビットコインのマイニングは、多数の採掘者マイナーが協力し、効率的に計算するマイニングプールが成功率のほとんどを占めている。特に大手数社の計算力は圧倒的で、新参がそこに割り込むのは普通に考えればかなり難しい。

「どこかの誰か、って言うのは? 新しいマイニングプールでもできたのか?」

「さあ」

「さあって。コインベーステキストにはなんて?」

ビットコインのブロックには、取引情報のほかにメッセージを書き込むこともできる。普通ならそこに採掘者が自分の情報を刻んでいるものだが。

「んー、自分で見た方が早いよ」

僕はスマホで、ビットコインのブロック情報を載せているサイトを開く。ヒナギの言う謎のマイナーが採掘したブロックは、すぐに見つかった。コインベーステキストの内容に目を移すが、よくある採掘者の情報などはない。代わりに、こんな一文があった。

“CP / Banks for second bailout on brink of chancellor.”

「んん? 大臣の危機に瀕した第二の救済のための銀行……? ってこれ」

僕は気づく。

これはサトシ・ナカモトが創世ジェネシスブロックに刻んだタイムズの見出し、

大臣は銀行に対し二度目の救済措置へChancellor on brink of second bailout for banks”の語順を逆にしたものだ。

「ふざけてるだろう?」

ヒナギが微笑して言う。

「採掘されたビットコインが付与アドレスから移された記録もない。何者なのかまったくわからないんだ」

なんだか不気味だった。これは噂にもなる。

「まあでも……これ以上シェアが増えるとは思えないけどな」

「そうだね。さすがにマイニングプールの持つ計算力には敵わないだろうし、今大勢のハッカーやソーシャルエンジニア達がおもしろがって特定に急いでるから、そのうち正体もわかると思うよ」

確かに、遊び好きの彼らには良い暇つぶしだろう。

僕も昔だったら探偵気取りで参加していたかもしれない。

「そうだ、話は変わるけど」

ヒナギが急に思いついたかのように言う。

「あの子とは最近どうなの?」

「あの子?」

「天才プログラマーのミズナシヨシオちゃん」

僕は冷水のコップに口を付けながら顔をしかめる。

「別に。たまにSNSでやりとりするだけだよ」

「あのホテル使った?」

水が気道に入り、思い切りむせ返る。

「つ、使う……わけないだろ。というかなんでそれ知ってるんだよ」

「わたしもガクから聞いた。やっぱりあいつろくでもないね」

ヒナギが愉快そうに言う。

「元恋人が言うと重い」

「で、どうなの?」

「だからそういう関係じゃないって」

「ほんと?」

「ほんとだよ……ああ、ほらもう行かないと」僕は話を終わらせるように促す。「そろそろ時間だから」

「えー、はいはい」

残念そうに言って、ヒナギは視線を泳がせる。

不自然な仕草だった。おそらく神経端末ナーヴデバイスで決済したんだろう。僕の視線に気づき、ヒナギは小さく笑う。

「ミナトももっと神経端末ナーヴデバイス使おうよ。持ってたよね?」

「持ってるけど、どうもスマホでいいやってなるんだよな」

「便利なのになぁ。あれはやってないの? 『ニューロガーデン』」

「ダウンロードはしたけど」

「やろうよ。ネットでも話題になってるのは知ってるよね?」

『ニューロガーデン』は、実際かなりの人気アプリだ。

木を植え、果実を収穫し、また植えるのを繰り返すのが基本の位置ゲーだが、シンプルなシステムとは裏腹に幅広い遊び方がある。

街でレア度の高い果実がなる木を探して栽培するのはもちろん、『木こりの斧』『宿り木』などの妨害アイテムを使った陣取り合戦に、木を食べに来るでかい亀や恐竜を囲う動物園、花や苔を使った庭園なんかを造ることもできる。

最初期には運営が稀少果実を買い取っており、儲かるとバズったこともあって、おそらく神経端末ナーヴデバイスで一番ダウンロードされているだろう。

「知ってる? みらい平なんてもうほとんど樹海になってるよ」

「そうなのか。東京のそんな感じの画像は見たことあったけど」

「絶対端末で見た方がいいよ。全然違うから。フレンド登録しよう。約束ね」

ヒナギが席を立ち、店の外へと歩いて行く。

その背に、僕は声をかける。

「ヒナギ。その……またなにかやるならいつでも手伝うよ。どうせ暇だから」

振り返ったヒナギは、ふと笑って頷いた。

◇        ◇        ◇

>>>第2章-4

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