由緒の言うことは正しかった。PoW通貨における正規チェーンの破棄は、2018年のモナコイン事件を筆頭に数回起きている。だがそれらはどれも黎明期、マイニング参加者の少ない通貨での話だ。当時に比べるとハッシュレートは比較にならないほど上がっており、計算力に物を言わせる攻撃は困難を極めるはずだった。
どこかで、なにかが誤魔化されている。
「だったとしても」僕は言葉を吐き出す。「探偵ごっこをする気はない」
「えー」由緒は不満そうな顔をする。
「えーじゃないよ。お前はまず、警察に協力してここから出ることを考えろ。ということで、僕は帰る」
そう言って立ち上がる。由緒はますます不満そうな顔。
「えー!」
「えーじゃないよ……呉さん、僕そろそろ帰りますから……呉さん?」
そう話しかけるも、呉女史はスマホのホログラムを固い表情で覗き込んだまま動かない。
その様子に、由緒も不安そうに声を掛ける。
「お母さん……?」
「……由緒、すぐに出してやる」
「え?」
「状況が変わった。犯人捜しは後だ。手が足りなくなる。しばらく手伝ってもらうぞ」
「え、え、お母さん? どうしたの? なにかあったの?」
そのとき、由緒の背後の扉が開いた。
険しい顔をした警察官が入室してくる。立ち会いの婦警さんを認めると、厳しい声で言いかかる。
「何をしてる。もう30分だぞ!」
「で、ですが、課長は制限なしで面会させていいと……」
婦警さんの言葉を無視し、警察官は面会台に詰め寄る。
「あ、藤井さん。この人あたしの担当刑事さん」
「申し訳ないが一般面会は20分までと決められている。終わりだ」
刑事は僕らへ一方的にそう言うと、踵を返して婦警に告げる。
「後で面会記録を刑事課へ。それから1時間後に取り調べだ。容疑者を——」
「おかしいな。一般面会時間に法的な制限はなかったはずだが?」
呉槭樹は、明らかに向こうに聞こえるよう言った。刑事が睨みつけるように女史を見据える。
「当方の運営規則だ。ご了承いただきたい」
「署長と話はついているはずだが」
「そのような指示は受けていない」
「あの、なにかあったんですか?」
思わず口を挟む。刑事の厳しい視線がこちらに向けられ、僕は少し後悔する。
「悪いがそれは——」
「事件が進展したんだろう?」呉女史が言う。「それもやっかいな方向に」
「え、なになにお母さん。どうなったの?」
「ちょうどいい。全員で報道を見ようじゃないか」
呉槭樹は、そう言って自身のスマホのディスプレイを広げ、不透過パターンを解除する。
映されているのは、どこかの報道番組だった。ナレーターの声が面会室に流れ出す。
————警視庁サイバー犯罪対策課より、本日正午、仮想通貨における新たな二重支払いが確認されたとの発表がありました。
攻撃の対象となったのは、ビットコインに加え新たにABCoin、DXP、GikoStの計4通貨です。手口は同様に51パーセント攻撃と見られており、被害総額は二百億円に上る見込みです。また、これら以外の通貨においても被害の申し立てが————、
「……嘘だろ」
僕は思わず呟く。ありえない。
同じ51パーセント攻撃と言っても、ABCoin、DXPはPoI系、GikoStはPoS通貨だ。ブロックの承認に計算力は関係なく、経済貢献度や保有量によって成功率が決まる。例の採掘者がどれだけの計算資源を持っていようと無意味なはずなのに。
「お、お母さんこれっ」
「黙って聴け。続きがあるはずだ」
————インターネット上では犯人のものと見られる声明が、各種言語でSNS、動画プラットフォーム、広告メディアなどで広く拡散されており、警察が詳しく調べています。今後は各国との協力体制を敷いていくと————、
犯行声明だって?
報道番組のVTRに、様々な言語のネット広告や動画コンテンツの一部が流れていく。その中の一つ、日本語の広告画像に、僕の目が留まる。
シンプルなデザインの広告だった。黒の背景に散らされた、錠剤やカプセル剤のポップなイラスト。その中央では、太った男がこんなことを呟いている。
“計算が得意です。二重支払い、承ります:D————byクロニックペイン”
慢性痛。
謎の採掘者は、そんな奇妙な名前を名乗っていた。
静まりかえる面会室で、報道番組はなおも情報を流し続ける。
————各SNSでは、人々の不安の声が上がっています。法定通貨や貴金属の相場は先月末より上昇を続けており、政府は————、
◇トークンエコノミーの崩壊
帰宅した俺は、部屋に入るやいなやベッドに倒れ込んだ。
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